こまつしまリビングラボ2019、始動!|前編|

2018年に起ち上がった「こまつしまリビングラボ(以下、KLL)」。

約1年の活動では7つの”イノベーションの種”が生まれ、さらに豊かで幸せな小松島市づくりを目指して現在も試行錯誤を繰り返しています。

そんな中、今年も新たなイノベーションの種を発見すべく「20分圏内のまちづくり」をテーマにKLLの2019年キックオフイベントを開催しました。今年のKLLは、すでに小松島市にある場所や活動などの「資源」を中心にイノベーションにつながるプロジェクトを立ち上げる「資源を軸としたチャレンジづくり」と、それを実際にまちの中で試していく「社会実験」の実施を目標にしています。

そこで今回のキックオフでは、今年1年の取り組みの要になる「資源」をみんなで見つけるための学びとワークを実施しました。お招きしたゲストからどんなものが資源になりうるのかを学ぶ『知る編』と、それらを受けて改めて自分達のまちを見直して資源を発見、チャレンジにつなげていく『作る編』の2回に分けてレポートします。

 

[ 知る編 ]

市民に流れる”マインド”   〜資源を見つけて生かす、つくる〜

KLLが掲げた今年の目標に向かっていくにあたって小松島市でどれだけの資源を発見できるかということはとても大きな課題です。そこで、どんなものが資源になりうるのかという資源を発見する視点や、見つけた資源を実際にプロジェクトに結びつけていくポイントをみんなで学び、地域を見る新しい目を持ちたいと考えました。今回は、世界でも屈指の「住みやすいまち」であるコペンハーゲンとポートランドの事例をゲストの方から伺います。

 

世界で一番住みやすい国・デンマーク 

講師:安岡美佳さん( 北欧研究所 代表)

「住みやすいまち」と聞いて、みなさんは何を思い浮かべるでしょうか。

安岡先生のお話は、人々が住みやすいと感じるまちのハードの話から始まり、徐々にデンマークの豊かさの核心とも言える”マインド”のお話へと移行していきました。

まちづくりに関わる市民に必要なマインドとはどのようなものなのか。デンマークの人々のユニークなエピソードからその答えのようなものが垣間見えてきました。

 

 

なぜ住みやすい?デンマークの3つのポイント

「世界幸福度ランキング」では毎回上位にランクインするデンマークに住み始め、今年で14年目になるという安岡先生。なぜデンマークがこれほどまでに人々を惹きつけるのか、3つの大きな要因を説明してくれました。

 

1.豊かな自然環境

1947年、デンマークは首都コペンハーゲンの地域計画として「フィンガープラン」というものを策定しました。フィンガープランとは、5 本の電車路線に沿って市街地をつくり、それ以外の地域を大規模緑地として確保。緑地を維持していくために土地利用の規制を厳しく設定しました(5本の路線が広げた手のひらのようなので「フィンガープラン!」)。これにより、どこに住んでいても誰でも気軽に自然に触れることができるようなまちの構造になりました。

2.移動しやすいまちの構造

その後も改訂を重ねていたフィンガープランですが、1993 年に策定されたマスタープランでは5本の指だけではなく、指と指をつなぐ交通網を形成する計画が盛り込まれました。このことで公共交通がさらに発達した他、隣国ともうまく連結、往来がしやすくなりました。

また、コペンハーゲンではまち全体が自転車で移動しやすいように様々な工夫がなされています。自転車を電車に乗せることができ、駅にも自転車を積める大きなエレベーターや自転車用のレールを設置。自転車専用道路や自転車用のハイウェイを形成するなど、まさに自転車先進国といった様相です。

3.公園や公共スペースが豊富

コペンハーゲンには至る所に公園があり、市民が自然に集いそれぞれの方法で公園を利用できるような自由度の高い設計がなされています。テーブルで食事をとったり芝生で休憩したり、一方ではスポーツをするなど、それぞれが自分の目的を持って公園に集まっている様子が伺えました。同じように図書館などの公共施設も充実しているそう。有名なところでは別名ブラックダイヤモンドとも呼ばれるモダン建築が美しいデンマーク王立図書館や、オーフスという地域にある市役所兼図書館の「Dokk1」などがあります。

 

「勝手にやってしまう」デンマークの人々

では、これら国や行政の取り組みだけがデンマークの幸福度を上げているのかというと実はそうではありません。

安岡先生が「コペンハーゲンマインド」と表現した、自分たちのまちを自分たちで作り上げていく市民のユニークで積極的なマインドも、まちの豊かさには欠かせない重要なポイントです(ある調査では、まちづくりに関わる度合いが高い人ほどまちへの満足度がアップするのだとか…!)。

コペンハーゲンのまちで実際に行われているイベントや市民主導の取り組みなどの具体的な事例とともに、そこに流れる「コペンハーゲンマインド」を紹介してくださいました。

 

 

1.勝手にやってしまう!

地域の住民たちは一時、あることで胸を痛めていました。それは野宿者がゴミ箱を漁ってリユース容器を持ち帰ること。

デンマークでは約97%の飲料容器ががリユース容器で、容器を返却することでいくらか返金される仕組みがあります。野宿者はこの返金を生活費にあてるため、リユース容器をゴミ箱から持ち帰っていました。

地域の人たちは容器を持ち帰られることに怒っていたのではなく、ゴミ箱を漁る人を見ることが辛いと感じていました。そこで、ゴミ箱の隣にリユース容専用に可愛くペイントしたボックスを設置。リユース容器はゴミ箱に捨てずにそのボックスに入れ、野宿者がゴミ箱を漁らなくてもボックスから自然な様子で容器を持ち帰れるように工夫しました。

この一連の流れの中で、行政に何かをお願いしたり、許可を取ろうとした場面は一度もありません。すべて市民が発見し、考え、自主的に箱を作って設置しました。根本的な課題(野宿者が生まれる社会的な背景)は大きすぎていますぐどうにかできる課題ではないので、市民がいま自分でできることを考えてパパッとやってしまう。日本ではあまり見ることのないユニークなエピソードです。

2.なりきる!

デンマークでは年に1回、4日間にわたって「中世祭り」というイベントが開催されます。

中世北欧は『ヴァイキング(武装船団、いわゆる”海賊”)時代』と位置付けられ、文字通りヴァイキングが次々と土地を征服、勢力を拡大していった時代です。8世紀から11世紀にわたって続くヴァイキング時代の中で、デンマークは近郊諸国を支配下に置く非常に強大な国家として成長していきました。現在のデンマークの元となる文化圏を作った「デーン人」は造船や航海技術に特に優れていたため、海洋民族として独特の文化を形成していたようです。

「中世祭り」はそんな当時のデンマークの暮らしをリアルに再現!テントを張り巡らせた会場では道化師や戦士などのアクティビティを体験できるほか、ヴァイキングのバトルショーや当時の料理やお酒なども楽しむことができます。イベント中は参加者も当時の衣装に身を包み、料理を食べ、「中世を生きるデンマーク人」そのものとして振る舞う。完全に「なりきる」のです。

この「中世祭り」、ただおもしろおかしく楽しむためだけのイベントではない、と安岡先生は語ります。ヴァイキングになりきって振る舞うことで、自分たちの先祖の思いや暮らしを体で感じ、理解することができる。そうして理解したまちの伝統や文化などの土地のオリジナリティには次第に愛着が生まれ、それらを残すために努力するようになるのだそうです。どこかの都市を真似て均一化しようとするのではなく、自分たちの個性を貴重な資源だと考えて最大限生かして守る。そういうマインドが根付いていることが伺えます。

3.仕組みをつくる!

日本の田舎町には、時々無人の野菜販売所(小屋のようなもの)があります。

値付けされた野菜が並んでいる隣に鍵付きの貯金箱のようなものが置いてあり、野菜が欲しい人は値札に書かれた金額を箱に入れて野菜を購入します。「盗まれるんじゃない!?」と思いますが、実際にはきちんとお金が入れられていて販売所として成り立っています。こうしたものと同じような、人がその場にいなくても成り立つような仕組みがデンマークでも至る所で見られるそうです。例えば、デンマークではボートの無人貸借り「勝手にやってしまう」という部分とも共通しますが、難しい仕組みを考えたり作ったりすることができなくても、とりあえずいま自分が出来る範囲から取り掛かっていく、というのはとても重要なマインドなのではないかと思えてきます。

4.毎日の生活の一部に新しいことを取り入れる

何か特別なことをしようとするとつい億劫になったり、尻込みしてしまいがちですが、それらを生活の中に組み込んでしまえば案外すんなりと変化できるもの。先ほどから見てきたように、公共空間をオープンにして様々な考えの人や出来事と出会う機会をたくさん作ることで、毎日の生活の中で新しい考えに触れて学ぶことが自然にできるというのも「コペンハーゲンマインド」の醸成に一役買っていそうですね。

 

 

“自分にとってのリビングラボ”をつくる

安岡先生が紹介してくださったデンマークの事例からは、「受け身で待つのではなく、主体的に参加する」マインドを随所に感じることができました。これはリビングラボにも通じる大切なマインドです。というよりも、こうしたマインドがある北欧だからこそリビングラボという手法が広まったと言った方が正確かもしれません。同時に、「まちをつくる」ということはもっと身近で自分の身の丈にあったレベルから始められるものなのだ、という示唆も感じることができました。

また、「リビングラボ」という比較的解釈の幅の大きい言葉について安岡先生は、「”自分にとってのリビングラボ”を作り上げれば良いのではないか」ともおっしゃっていました。まちづくりというと大きなインパクトのある革新的な何かでなければならない、というイメージがある方も少なくないのではないでしょうか。ですが、安岡先生が紹介してくれた多くの事例の中には、今からでも始められそうな取り組みがいくつもありました。「まずは勝手にやってみる、話はそこからだ!」という市民のパワーが、まちをよりよく変えていくために必要不可欠な要素なのではないでしょうか。

 

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なぜ『20分圏内』なのか

講師:岩淵泰さん( 岡山大学地域総合研究センター(AGORA)助教)

今回のテーマとなった「20分圏内のまちづくり」に出てくる「20分圏内」という言葉は、実はポートランドのまちづくりに関するマスタープランで登場したものです。

岩淵先生は、この「20分」という概念が生まれることになったポートランドのまちづくりの成り立ちを、歴史的背景、都市計画、市民参加の3つの観点から包括的にお話し下さいました。ポートランドの変遷からわかることは、「良いまちとは何か」「良い生き方とは何か」をポートランド市民が真摯に考え、まちづくりに活かしてきたことです。

 

 

ポートランドの歩み

1.国の成り立ち

岩淵先生は、国家やまちを比較するときにはそれらの成り立ちや出発点に注目するのが良いと、言います。

たとえば、集権国家として誕生した日本は、現在でも中央政府が地域に与える影響はとても大きいものがあります。しかしながら、アメリカでは、タウンミーティングを一例にして、コミュニティからまちづくりを出発しました。アメリカ合衆国は連邦国家であり、各州で独自の主権を持つことになります。そのため、ポートランドのあるオレゴン州は、土地利用計画などに強いイニシアチブを持っているそうです。アメリカのまちづくりを考える場合、各州のそれぞれが個性的であり、加えて、国土の広さや民族の多様性などもあり、国の成り立ちは、まちづくりの文化にも影響を与えることが分かってきます。

2.ポートランドの都市計画

都市計画について振り返る前に、少しポートランドという土地について知っておきたいと思います。ポートランドはオレゴン州に属する州最大の都市で、面積は小松島市の約8倍の376.5 km2(小松島市は45.37km2)、人口は58万4千人で約3万7千人の小松島市と比べ約15倍もの人がポートランドに居住しています。

そのようなポートランドが「美しいまち」を目指し始めたのは、アメリカ各地で起こった「都市美運動(町の景観を審美的・機能的な観点から整えようとする運動)」の影響を受けた1890年ごろからでした。運動が下火になり始めた1903年、オルムステッド兄弟(この兄弟のお父様はなんとニューヨークのセントラルパークの設計者なのです!)はまち全体が公園になる「公園都市構想」を完成させます。ポートランドの豊かな自然を最大限生かすまちの未来を描き出したその構想は、いま見ても全く見劣りすることのない、それどころかあるべき未来を予見していたかのような素晴らしさです。

一方、ポートランド市ではアメリカの他の地域に習って近代化・都市化の道を進もうという構想もでてきました。もともと豊富な天然資源で発展を遂げてきたポートランドでしたが、それらを活用しながらも工業や産業などのビジネスによるまちの発展も目指していたのです。

このように全く異なる「目指す都市像」に大きな影響を与えたのは、1943年に誕生した道路計画「モーゼスプラン」でした。このモーゼスプランを土台とする車中心の再開発計画はその後、ハイウェイ建設の計画までに発展していきます。モーゼスは、ニューヨークの交通体系を造った人物として知られています。しかし、実際に道路中心のまちづくりを行政が進めようとしたところ、市民と行政は激しい対立を起こしてしまいます。これら一連の計画策定に関して市民に十分な説明がなかったことや、人口が密集しているエリアをハイウェイが通過することなどに不安を抱いた市民は、車中心の再開発計画に反対の意思を表明し、異なったまちづくりに進み始めます。当時、他の地域と同じように河川・大気汚染に悩まされていたポートランドは、巨大道路や高層ビルを構えどんどん近代化していく他の地域を志向するのか、自然環境を守り、住みやすいまちを志向するのかという帰路に立たされました。

この段階では誰も明確な答えを持っていなかったのかもしれません。しかしながら、その時に大切な経験は、市民も行政も関係する人が繰り返し「ポートランドはどのようにすればいいまちになるのか」を話し合ったことです。こうした対話の積み重ねが次第に都市計画の基盤になり、まちづくりを進める上での関係性が醸成されていったのです。

3.参加民主主義とポートランド

また、ポートランドの特徴は、都市計画の策定に市民参画の機会を大切にしていることです。その土台になる対話がまちづくり運動の視点から行われていたのは、先にも述べたオレゴン州が定めた土地計画に関する法案の中で、市民参画を積極的に推進することが定められているからです。行政は公的にも、土地利用計画や都市計画に市民参加を強く後押ししました。市民がまちづくりや政策について自由に意見を述べると同時に、市民自身がそれらの策定に責任を共有することも大切な事だったのです。

こうした変遷を振り返ってみると、政府も市民も、誰もが自分たちの住む町に意見と責任を持つ、ということが習慣化されていることがわかります。ポートランドに限らず、アメリカでは政策決定の中で対話を重視する「コラボラティブ・プランニング」というアプローチが取られています。これまで行政が主導して策定していた政策を、多様な主体が話し合って意見を出しそれらを反映させることで政策をまとめ上げていく方法です。 行政側に既定路線があり、形だけの意見交換会になりがちな日本のまちづくりとは大きく違う進め方かもしれません。多様な思想・信条を持った市民が参加することで政策決定にはたくさんの時間が必要になりますが、まちづくりの大きなビジョンを作るときは、行政の力だけでは実現できません。ポートランドでは、“Portland Way(「しっかり市民の声を聴いてまちづくりをする」という意味)”という言葉があるようです。行政がこの“Portland Way”をしなかったために計画が無くなってしまうこともあるそう。

大切なことは、行政はこれらのプロセスにもとても肯定的だということです。様々な人が話し合いに参加することを好意的に捉え価値あるものとする信条があるようです。

 

 

こうして『20分圏内』は生まれた -公正性というという観点-

様々な変遷と長い年月をかけて磨き上げられていったポートランドはどんどん人口が増加。1970年から2015年の間に約250万人も増加しています。また、このまちの評判を聞きつけた人々が多く移住してくるようになり、人種も多様になっていきます。

ポートランド市はこれまでの市民に加えて新しく外からやってきた人々をも巻き込んだまちづくりが必要とされるようになったことや、二酸化炭素の削減や環境に優しいまちづくりを進めるために、「ポートランドプラン」という2035年までのアクションプランを策定しました。住みやすいまちとして注目されることは素晴らしいことですが、実際には、気候変動への対応、新鮮で健康的な食生活など、これから避けては通れない変化に対しても、ポートランドは、「どのようによりよい町であり続けるのか」を問い、様々な計画を打ち出しています。現在、ポートランドのまちづくりでキーワードになっているのが、「公正性」 です。

「公正性」、なんとなく「平等」と同じ意味合いのようにも思えます(私はそう思っていました!)が、実際には少し異なる言葉のようです。

「平等」は、とても簡単にいうと「全員に同じものを与える」こと。全ての人が同じものを手に入れられるので一見なんの問題もないようですが、平等は”全ての人のスタートラインが同じである”場合にしか機能しないという落とし穴があります。一方の「公正」は、「その人が必要としているものを与えること」だと言えます。スタートラインは個人の来歴や差異によってそれぞれ異なるもの。そこでスタートラインまでの差異を埋めて平等にスタートが切れるようにサポートすることが「公正」であるということです。

岩淵先生はこれを、野球の試合をフェンス越しに見ようとする身長の違う子どもたちのイラストで表現していました。「平等」のイラストは、身長の異なる子どもたちに同じ高さの踏み台が与えられています。身長の大きな子はこれで試合が見られますが、小さな子は相変わらずフェンスが視界の邪魔をしています。「公正」のイラストでは、子どもの身長に合わせて与える踏み台の高さを変えることで、全ての子どもたちが試合を見ることができました。

このように「公正性」からまちづくりを考えると、全く違うものが見えてきます。たとえば、「ポートランドプラン」では、健康的で必要な機会を十分に得られる「健康なコミュニティ」を「誰もが享受できる(公正性)ように目指しています。この「公正性」を都市空間に実現するにはどうすれば良いのでしょうか。それが、「20分圏内コミュニティ」と呼ばれる戦略なのです。

「20分」は人が楽しく歩ける範囲として設定されています。その範囲の中に学校や公園、商店のほか、新鮮な食べ物が食べられる場所やオシャレなカフェなどが充実し、ゆったりとしたペースで暮らすことができる。もちろん、自転車で20分、車でも20分など、色々な20分の範囲を戦略では含んでいますが、岩淵先生は、「必要なものが手の届く範囲」であることが、人にも環境にも優しいはずだと述べています。

ポートランドでは、こうした暮らしを誰もが送ることができる公正性のあるまちを目指し都市計画が進められています。「20分圏内コミュニティ」が実現すると、生活の中で必要なモノやサービスが循環し徒歩や自転車での移動で増えていくと、CO2排出量の低減にもつながり、「エコロジーで持続可能な都市」という政策の実現にも繋がってきます。

 

 

大切なことは何か、どんなところがユニークなのか常に問う

こうしたポートランドを形作っていく一連の流れに関する説明の中で、岩淵先生からは「何が大切で何がユニークなのかを常に問う姿勢」という言葉が出てきました。

これは、ポートランドのまちづくり先生であるスティーブ・ジョンソン先生から教えてもらった言葉だそうです。振り返ってみれば、ポートランドの都市政策はアメリカの他の地域や世界中の多くの国の模倣ではなく、常にオリジナリティに溢れています。その理由のひとつには、自分たちはまちのどんな部分に価値があると考えるのか、また、自分たちはどんな人生を送りたいのか、をとても丁寧に時間と労力をかけて見極めてきたことが挙げられるかもしれません

いろいろな価値観を持ったたくさんの目で街を見ることや、見えたものについて言葉できちんと対話すること。簡単そうですがとても骨の折れる作業です。それでも、ポートランドの人々が笑顔で楽しく生活できるのは、一歩一歩のまちづくりを続けてきたからだと思います。また、それら一連の取り組みを支えた個々人の主体性そのもの非常にユニークで、ポートランドにとって非常に大切な資源だったことがうかがえます。

 

欲しいものは望まなければ得られない

岩淵先生のお話を聞いているうちにこうしたポートランドの人々の姿勢はある意味当然のことと言えるのではないか、と感じられてきました。

どこに住んでいても、多くの人が自分の心身の健康に配慮したライフスタイルを送りたいですし、職場と自宅が近ければ短縮できた時間を余暇や家族との時間に充てたいと考えていることでしょう。また、特定の層だけが得する社会や、誰かの貧しさや我慢の上に自分の暮らしが成り立つような状況は好ましくないと考えている人も多いはず。自分も周囲もみんなが幸せなのがベストです。

では、そういった生活は誰か、例えば政府や行政がもたらしてくれるのでしょうか。人類の長い歴史を見るにつけ、どうやらそれは難しいようです。そうであれば、 現代を生きる私たちこそが自ら何を欲しいのか声にし、行動欲しい未来を実現していくことが大事なのだと、ポートランドの先人たちから学びました。